ISDE2005
INTERNATIONAL 6DAYS ENDURO 2005 
 [現地レポート] MotoClub 騎馬民族  畑 由孝
http://yubari-xc-enduro.com
2005.9/8(木)

6時起床、朝食を8時にしたのでその前に昨夜たどり着くことのできなかった会場へ向かう。

7時ごろ会場に到着。それにしても会場までの約15kmで目にした看板はたったの1枚っきりであった。会場ですぐにベルナードの車を見つけ、昨年の日高以来、約1年ぶりの再会を果たす。ジェニーも元気そう。会場周辺を散策した後ホテルに戻り朝食をすませる。2種類のパン、チーズ、ハム、野菜、バターとジャム、牛乳とオレンジジュース、まあ、どこでも代わり映えのしない朝食。準備をしてホテルを出発、今日は受付をしてモーターサイクルを受け取り、パドックを設営して、午後からは二手に分かれ、モーターサイクルのセットと試走、私は夕方からジュリーミーティングである。

9時半ごろ大会事務局を訪ねる。パドックから歩いて10分、しかも道が入り組んでいて車で行くか徒歩かちょうど迷う。ジェニーと相談の結果、徒歩で向かうことにするが、歩いてみて「こりゃ、車でくる距離だわ」と思う。最初に滞在許可申請的な手続きをすませる。自由主義社会でどっぷり育った我々にはちょっと理解しがたいが、いつからいつまでどこに誰が滞在して、いつどうやって国を離れるかをきっちりと確認される。面倒な話ではあるが、ここでは我々は外国人であるからしょうがない、郷に入らずんば郷に従えである。次に選手の登録、マネジャー、デレゲートの登録を済ませて晴れて我々は6DAYSの一員になった。

ランチの前に近くのショッピングセンターで買い物を済ませ、買い込んだ材料でサンドイッチとジュースとりんごのランチ。最後にちょっと甘いものを食べて、午後に備えた。それにしても買い物をしたショッピングセンターの大きさと品揃えには驚いた。日本のホームセンターとスーパーマーケットが一緒になったような感じで、欲しいものはすべてが手に入った。数年前には考えられないことである。しかも、感覚的に価格は半分程度。午後一番でモーターサイクルを2台受け取る。トリプルクランプ、排気系、前後サス等6DAYSスペシャルに仕立てられたモーターサイクルは一言「かっこいい・・・」。パイロット市川によると走りもかなりのものらしい。

私は、夕方5時にプレスセンターでメールのチェックをして、6時から最初のジュリーミーティングに出席。出席者は各国のデレゲート、FIMからのジュリーとオーガナイザー代表、まさしくエンデューロ界の重鎮たちである。穏やかな雰囲気と緊張感が漂う不思議な感覚の中、オーガナイザーよりルート・テストの説明、ドック内通路の件、明日行われるプリライディング(各国の代表による試走)、ルートマーク、サービスパスの件などが次々と説明される。一通りの説明の後、質疑応答が始まり、初回のミーティングから早くも活発に意見が交わされる。中でも昨年のボイコット騒ぎに関して、オーガナイザーの対応に関するものやフォローライダーに関する紳士協定に関することが盛んに意見交換された。

明日はテストの下見と夕方7時からジュリーミーティングである。

2005.9/9(金)

今日は朝からDAY1・DAY2のルートとテストを下見する。オーガナイザーが用意したコース図と地図を睨めっこしながら目的のテストのある場所へ向かうわけだが、当然、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。ただし、今回は強い味方のベルナードとジェニファーが同乗してくれたので、まあ、助かった。
 
せっかく案内役を買って出てくれた彼らに「まあ」なんて言い方はかなり失礼ではあるが、運転していた私にしてみたらこれが大変な作業である。二人して、「その先の細い道を右折だ」、「違うわ、もう一本先よ」、「ちょっと行き過ぎたみたいだから、そこで右によってUターンだ」、「確か教会があったから、そこを過ぎたら右折なので注意して」とか道案内をしながら、さらにその合間に過去の世界選手権の思い出話やこの町の歴史の話など、もう二人して機関銃のように話しかけてくるので、運転と英語に聞き耳と立てることでクタクタになった。同乗した中島マネージャーなど、ある種の尊敬と諦めと驚きと「俺は運転替わらないよ」の眼差しで私を見つめ「あんたは凄い」なんて言う始末である。それでも、予定を消化できたのは二人の案内のおかげで、例年よりコースマークも少なく、我々3人だけでは到底行き着くことができなかったと思うので、やはり彼らには感謝である。

二人の話によるとこの町はエンデューロがとても盛んな町で、毎年のように世界選手権や国内選手権が開催されていて、この日に下見したルート、テストも何度も世界選手権で使われたそうである。各テストはとても広々とした牧草地と深い森の中に作られていて、いつものような延々と続くタイトターンの連続は見当たらす、豪快にダイナミックにレイアウトされていた。それでも絶妙にキャンバーターンが配置され雨でも降ればかなりの難易度になるとは確実である。

途中、小さな村のカフェでちょっと休憩をする。我々5名でビールを2杯、コーヒーとコーラとアイスキャンディーを二つ注文、御代はなんと2.6ユーロ、約300円也。

一休みの後、今度はルート上の難所に向かう。ベルナードの情報によるとルートが世界選手権と同じで、厳しいところがあるらしい。最初に行ったのが森の中のガレガレの沢登り。Day1.DAY2は下りだから問題はないだろうが、DAY3・DAY4は上りで使われる場所である。ここは関係者の間でも有名な上りらしく、毎回多くの観客が沢の両サイドを埋め尽くすらしい。大きな声援をうけ沢登にトライする選手達が目に浮かぶ。沢の入り口のオンコースマークにはこんなコメントがあった。「Best in the Desert!!!  Proud to be an AMERICAN」パドックにもどりジェニーお手製のサンドイッチで遅いランチを済ませると。私はジュリーミーティングのため一人パドックに残り、4名はホテルに戻った。

7時からの開始のミィーテイング、冒頭、役員から「開始の時間であるが役員数名が遅れている。会議を開始するべきかどうか?」の問いかけに、間髪をいれず一同から「START!!」の声。うまく表現できないが、時間に遅れることによって被る不利益は遅れた者のものであるという当たり前のことが当たり前に貫かれていて、ちょっと感動した。やっぱり6DAYSって戦いなんだ。今日の大きな議題はISDEルールの改正についてとプリライダー試走による設定タイムの変更について。ルール改正については、何点の変更箇所があるのだが、大きく変わったのは今までルート上どこでもOKだった工具とパーツの受け取りが、サービスが可能なタイムチェック区間のみに限定されたこと。実は日高のルールは変更前のままであるがどうしたものか?帰国したら至急、会議を開かないといけない。もう一つはタイム設定の件。プリライダーの試走によると当初オーガナイザーが設定したタイムではオンタイムでの到着が無理な区間が2箇所あり、それぞれ数分づづ時間を増やすことになった。実際に何分伸ばすのが適当なのかは各デレゲートからいろいろな意見が出されたが、結局結論は出ず持ち越しとなった。ちなみにプリライダーとして走るのは経験が豊富でかつてその国を代表していたような連中であり、彼らが遅れるということは普通のクラブチームの選手なら遅れるのは必至である。プリライダーを走らせたことのない日本チームはこの段階ですでにコースインフォメーションという情報から一歩遠ざかってしまっているわけで、つくづくこのエンデューロに勝つためには組織的な力が必要だと痛感した。いろいろな意味でまだまだ先は長いです。

ホテルに戻ったのは10時過ぎ。今日は疲れた一日だった。

2005.9/10(土)
今日の予定は選手登録と車検。車検終了以後、モーターサイクルはパルクフェルメに保管され、火曜のスタートの時まで触れることはできなくなる。ルールにある「モーターサイクルはパルクフェルメシステムによってオーガナイザーの管理下に置かれる」って一文がそれを規定している。

今朝は7時半にホテルを出発し、早めにパドックに到着してスタート前最後の整備を行う。KTMファクトリーに出向き、日本から持参のパーツを取り付けたり、チューブを抜いてムースに入れ替えたり、パイロット市川、メカニック兼マネジャー中島、もう一人のメカニックベルナードは大忙しである。私はジェニーとちょっとおしゃべりをしたり、時々彼らの通訳でKTMワークスメカと話したり、どんどん綺麗に仕上がっていくモーターサイクルを眺めているだけであったが、そんな中でもジェニーは受付に指定されている時刻まで「あと30分よ」なんて根っからのタイムキーパーぶりを発揮していた。

パイロット市川はどうやらフロントブレーキのタッチが気になるらしく、一度、日本パドックでエア抜きをしたのだが、それでも納得ができない。KTMワークスのメカニックに相談したところ、すぐにブレンボのメカニックがやって来た。彼は手際よくレバーを外し、プッシュロッドやスプリングを交換、パットを外して変形をチェックして、簡単にエア抜きを済ませると、今までのスポンジーなタッチが嘘のように消え、カチッとした最高のブレーキに変わっていた。改めて思うが、サスペンションやブレーキなど、専門のメカニックが待機していることを考えても、6DAYSってやっぱり世界選手権なのだ。整備を終え、受付の指定時刻10:25少し前に事務局に到着。一通り書類のチェックを受けて無事に受付は終了。後は12:15からの車検にパスすれば、スタート前のすべての手続きは終了である。

12:00少し前、車検会場にモーターサイクルとヘルメットを持参して、テクニカルインスペクションを受ける。最初にノイズコントロール。これは見たところ、あまり厳密なものではなかった。ルールではピストンスピードがいくつのときに何デシベルって決まっているだが、どう見ても正確に回転数を合わせているとは思えない。まあ、ほとんどのモーターサイクルが新車だし、エンジンをかけたとき著しく大きな音がしなければ合格という判断なのだろう。ノイズコントロールに合格後、前後ハブ、サイレンサー、フレーム、クランクケースにマーキングが施され、ドライバーが確認後、書類にサインをして車検は終了。オフィシャルの案内でパルクフェルメの指定された場所にモーターサイクルを運ぶ。いよいよ後はスタートを待つばかり、急に緊張感が高まる。

少し早めにホテルにもどり、私は7時からのジュリーミーティングのため再度会場へ向かう。今日も多くの議題が消化されていく。タイムスケジュールの発表等いろいろはインフォメーションの発表日時や注意事項、各デレゲートからの質問に対するオーガナイザーの答えなど、英語とフランス語とスロバキア語が飛び交う中、一つも聞き逃すことのできない重要なことばかり。新参者の私にはタフな作業である。

 ジュリーミーティングの内容をどの程度まで公表していいものなのか、私にはまだ判断基準ができていない。基準をつくらないといけないほど政治的な駆け引きや戦いが行われていることだけは確かである。例えば、アメリカチームは、例年コンテナで選手のモーターサイクルや機材を一括搬入しているのだが、今回、何かのトラブルでコンテナがまだ会場に到着していない。これに関しアメリカのデレゲートからテクニカルインスペクション(車検)を月曜(レース前日)に延期してほしいとの申し出があった。これに対し他国のデレゲートから「すでにスケジュールどおりテクニカルインスペクションを受け、木曜からパルクフェルメに保管されているモーターサイクルも存在する中、アメリカチームに対するテクニカルインスペクションの延期は著しくイコールコンディションを損なう。したがって、延期が了承されるのならペナルティを科すべきだ」との意見が出された。堂々と他国に対するペナルティを要求することにも驚いたが、当事国のアメリカ以外から反対の意見が出なかったことにさらに驚いた。結果、11日12:00まではノーペナルティーとするが、これ以降は一律10分のペナルティとすることが決定された。最後に議事録に残すためか、あくまで意見を主張するつもりなのか、強い口調で「我々はその裁定に納得ができない」と意見を述べたアメリカのデレゲートが印象的であった。90年代の終わりにベルナードが私の顔を見るたびに、「6DAYSに出場するなら絶対にジュリーミィーティングにデレゲートを出さないといけない」と言っていたことの本当の意味がわかった瞬間であった。ある意味において、ジュリーミーティングで意見を述べる機会を放棄することは、欠席裁判に同意することや白紙委任状を渡すことと同じである。なにかトラブルが起きたときにどのような裁定が行われても甘んじてそれを受け入れるしかないのである。何度も言うが、選手はルートとテストで戦い、チームマネジャーは最大のサポートを提供するために現場で戦い、そしてデレゲートは自国選手の権利を守るためにルールブックを片手にジュリーミーティングで戦うのである。

大会開始後のジュリーミーティングがどれだけ激しいものになるのか想像すると怖くなるが、デレゲートとしての責任を自覚して私なりに頑張ろうと思う。

2005.9/11(日)
9月7日の夜遅くにこの町に到着して以来、今日までいい天気が続いている。気温も連日、27〜28度くらいまで上がり、少し動くと汗だくである。それでも昨夜はほんの少し雨が降ったようで、朝起きると路面が濡れていて、日中も一時パラパラと小雨が降ったりした。

今日は6時からオープニングセレモニー。午前中はDAY5のテストの下見に向かう。最初のテストでは、ちょうど地元モーターサイクルクラブの若者が杭を打ち、テープを張ってコースを作っている最中であった。若者に盛んに指示をしているボスに話しかけてみると、どうやら彼はここの土地の持ち主であり、息子がスロバキア国内選手権で活躍中とのことであった。さしずめ地元クラブの監督兼スポンサーってところだろう。このような多くの人の気持ちが一つになって6DAYSは開催されているのである。積み重ねられた月日の長さと、受け継がれてきた文化の違いが羨ましかった。

オープニングセレモニーの前、私は開催地であるポバツカ・ビストリッツア市長主催の歓迎レセプションにジュリーとしてご招待を受け、他国のジュリーとともに出席した。1時間ほどの立食パーティーであったが、市長、ジュリープレジデントの挨拶、各国のデレゲートとの歓談など、貴重な経験をさせてもらった。しかしながら、こういった公式な行事への参加ってほんとエネルギー使う。

さて、いよいよ6時過ぎからオープニングセレモニーの開始。会場はパルクフェルメに隣接する陸上競技場で、マーチングバンドを先頭にローマ字順に各国のプラカードを持った地元高校生に続いて入場行進する。スタンド前を通るときには日本チームに対し多くの声援を受けた。特に今回出場のパイロット市川は数年前、イタリアの超有名ファクトリーであるファリオリにレーシングメカニックとして在籍した経験をもち、当時の友人、メカニック仲間から多くの声援を受けていた。

今回のISDEスロバキア大会、総出者数は385名、クラス分けではE1クラス124名、E2クラス162名、E3クラス99名。さららにトロフィーチーム18チーム、108名、ジュニアトロフィーチーム12チーム、45名、クラブチーム15チーム、225名、そしてインディビジュアルが6名である。日本から参加の市川健二はインディビジュアルでの参加、本来団体として戦うISDEにおいて個人参加は寂しいが、2〜3年前からは、それまでクラブチームにしか認められていなかったリスタートの権利が個人参加の選手にも認められている。

ここ、スロバキアはなんと言ってビールが美味く、その上安い。また、アルコール度数が高く、普通で10%、さらには15%なんてツワモノもある。私はそれほどでもないのであるが、マネージャー中島とドライバー市川はビールに目がなく、ちょっとした機会を見つけては「グビグビ」とやっている。なにせ挨拶より先にピボ(ビール)を覚えたくらいである。滞在先のホテルから歩いて数分のところにもパブがあり、昨夜も二人はビボっていた。

明日は最後の休養日。火曜日からいよいよ6DAYSが始まる。

2005.9/12(月)

今日は休養日、明日のスタートに向けて鋭気を養う日だ。遅めに朝食をとり、それぞれ洗濯をしたり、近所を散歩したりしてちょっとだけ一休み、穏やかな午前を過ごす。12:00前にホテルを出発し、パドックに向かう。12:00からABCコミュニケーションズによる各国のトロフィー、ジュニアトロフィーチームの写真撮影会がありそれを見学、その後はお土産用のTシャツ等を品定めする。色とりどりのTシャツやジャージが店先を飾るが、よく見るとどれも「イミテーション?」と思われる物が多い。その割には結構いい値段がついていた。その間、マネージャ中島とパイロット市川はタイヤやエアクリーナー等を用意し、サポートを受けるKTMサービスとサポート内容の打ち合わせをして、明日に備えていた。

一旦ホテルに戻った後、マネージャ中島とパイロット市川をホテルに残し16:00からのプレスカンファレンスに出席、来年のニュージーランド大会とメッツェラータイヤの新製品に関してプレゼンテーションが行われた。各デレゲートをはじめ各国のプレスや関係者が多く集まり盛況であった。そこではニュージーランド大会について沢山の資料を手に入れることができたので日本にもどったら皆さんにお知らせしようと思う。

6時からはジュリーミーティング。今日の議題はパドックのこと、フォローライダーにかんする同意書への署名、明日のスターティングリストのこと。順に議題が進み、スターティングリストへと移り、各ジュリーへ書類が配布された。ところが、パイロット市川の名前を探すとあるべきところに名前がないのである。スタート時間をみるとライディングナンバー順を飛び越えてE1クラスの最後尾にされていた。「?」である。今までの6DAYSなら「多少順番が変わってもスタートできるからいいんじゃない」程度の問題であるが、今年はそうはいかない。早速、質問してみた。「どうして225番・市川健二はE1クラスの最後にされたのか理由を教えて欲しい」。オーガナイザーは少し相談した後、「排気量が変更になったためである」と答えた。「おかしい・・、排気量なんか変更していない」。彼は最初からE1クラスでエントリーしているのである。「そんなことはない、彼は最初からE1クラスでエントリーの手続きを行い正式に受理されている。確認して欲しい」と言うと、いろいろと書類を調べ、さらにいろいろとやり取りをした後、最終の答えは「登録がクラブからインディビジュアルに変更されたからである」とのことであった。最後に「それは普通のこのなか?」と聞いてみたが、「そのとおりである」との答えであった。つまんないことではあるが、これも立派なデレゲートの仕事である。

ミーテーング終了後、急いでホテルに戻り5名で夕食をとる。明日はいよいよスタートである。明日のことをいろいろと話し、5名がそれぞれ全力をつくし、そして楽しむことを誓った。

2005.9/13(火) 【DAY1】
6時半に朝食をとり、朝靄の中7時過ぎにホテルを出発する。スタートは9時18分、9時3分にパルクフェルメに入場、9時8分にワーキングエリアに移動し、モーターサイクルの最終チェックをして、タイムシートをハンドルバーに対ラップで固定、選手紹介のアナウンスが流れる中、パイロット市川は緊張の面持ちでスタート台から戦いの場へとスタートしていった。スタート前はたまらない緊張感に襲われる。マネージャー中島とともに、スタート前にかなりテンパッているパイロット市川を見て「かつて我々もあのように激しい緊張の中スタートしていったよな」と話をした。スタート前の忙しい時間であるが、ほんの少しだけ昔を思い出し懐かしかった。

今日は初日にして大ハプニングがあった。私のミスからパルクフェルメに入場の際オフィシャルに提示しなければならないカード(ルール上の規定はない)を用意するのを忘れてしまったのである。すでにパルクフェルメへの入場の時刻は過ぎており、一瞬頭の中が真っ白になったが、たまたまそこにジュリーミーティングで毎日顔を合わせている競技監督を見つけ事情を説明、カードの再発行を受けることができた。無事にパルクフェルメに入っていくパイロット市川の後ろ姿を見てほっと胸をなでおろした。ほんとよかったぁ・・・。

パドックにベルナードとジェニファーを残し、中島と私はもう一台の車でパイロット市川を先回りするように追いかけることにした。今日は前日の雨のためBタイムでスケジュールが消化されていく。パイロット市川も順調にルートをこなしながら、テストにアタックしていく。何番目かのタイムチェックでルート・テストの状況を聞いてみると、殆どがオフロードであり舗装路はごくごく僅か、その上タイトでアップダウンがあり休む間がないそうだ。それはそうである、今日のルートとテストは世界選手権で使われたものとほとんど同じものなのだから。これぞまさしくリアルエンデューロだ。パイロット市川も幾つかの区間を消化すると、随分と落ち着いた顔になってきた。漠然としながらもこれならいけるという自身めいたものができたためだろう。これで大丈夫、あとは普段の力を出すだけである。どうやら彼は本当の6DAYSを走り始めたようだ。

1周にわたってパイロット市川を先回りサポートした後、僅かにあった時間を使いクロステストを見物する。ちょうど、トロフィー、ジュニアトロフィーの選手達がテストを走っているところであった。彼らの走りは、まあ、なんと言うか一言で言うと「唖然」である。テストはグラストラック(牧草地)であるのだが、ストレートからコーナーへの進入が見事としか言いようのないくらいスムーズで体のどこにも無駄な力が入っていない。特に下り右キャンバーコーナーなど、芸術的にトラクションをかけて加速していく。あまりにスムーズなので見ていると簡単そうに見えてしまうほどだ。いつか日本のトロフィーチームが赤白の日本ジャージを身にまとい、猛烈な勢いでコーナーを脱出していくことを想像しながら我々はパドックに向かった。

パイロット市川は2周目も順調にルート・テストを消化し、無事、パドックに戻ってきた。プリフィニッシュの前で待っていると、規定到着時刻から10分ほど残して姿を見せた。早速、ウエストバックから工具を取り出し、モーターサイクルについた泥を落とし始める。一通り泥落としが終わると、数分後に行うリアタイヤ交換のために、アクスルナット・ビードストッパーを緩め、さらにもう一度モーターサイクルの各部を点検、これからの貴重な15分間の使い道を考えていた。指定時刻にサービスエリアに入ったパイロット市川は打ち合わせどおり、リアタイヤ・エアクリーナーを交換、サスペンションの調整、各部に給油を行い、さらにミッションオイルは明日の朝交換することを打ち合わせして、最終フィニッシュへ向かった。

無事、DAY1が終了した。

2005.9/14(水) 【DAY2】

DAY1、DAY2は全く同じルート・テストを使って行われる。ただし、昨日と違うのはタイムスケジュールがBタイムからAタイムに変更されたことだ。AタイムはBタイムと比べて全体で約10%タイムが短縮されている。各タイムチェックで昨日と同じだけ時間を余らせようと思えば、全体で10%アベレージを上げなくてはならない。これがどれほどタフな作業か想像がつくだろうか?

DAY2もDAY1と同じスタート時間が与えられた。スタート10分前にワーキングエリアにバイクを進め、今朝はミッションオイルの交換をする。ミッションオイルの交換はメカニックが行ってもいい作業に指定されているので、KTMのメカニックが手早くドレンボルトを緩め、出てきたオイルをチェック、色、匂い、異物の混入をチェック、特別な問題がないことを確認して新しいオイルを入れる。同時に昨夜できなかった作業をこなして、きっちり10分間を使い切り、指定時間にスタートをしていった。二日目になるとワーキングエリアは賑やかになってくる。ブレーキキャリパーを交換する選手、フロントフォークを交換する選手など、DAY1で壊れた部品を大急ぎで交換する姿が目につく。イギリスチームではなんと10分間で2ストロークエンジンの排気バルブを交換していた。世界選手権を戦っているポール・エドモンソンのメカニックが付きっきりで手順を説明しながらであったが、チャンバーを外し、カバーを開け、中のリンクやスモールパーツを外して壊れた部品を交換、すべてを元に戻す作業を正味9分間で行うのはやはり驚くべきことである。

パイロット市川を見送ったあと、我々は昨日と同じように市川を追いかけ、先回りして待ち構える。クロステストのスタートで待っていると市川がほぼ時間通りに現れるが、昨日は外したウエストバックを外そうともせず、そのままテストをスタートしていった。おそらくルートの時間設定がかなりタイトでほんの少しの時間も止まりたくないのであろう。フィニッシュラインを通過した後も止まって水分補給をすることもなく、我々に軽く合図を送って次のルートへと向かっていった。次のタイムチェックには2分前に到着、大急ぎで燃料を入れ、ゴーグルの汚れをとり、バナナとチョコレートをほおばり、タイムチェックに入る。市川を見送って、マネージャー中島と二人「2周目もオンタイムは厳しいなもなぁ」なんて言いながら我々はパドックへ向かう。

パドックについた我々は早速今日行う作業の準備をした。今日は前後タイヤ交換、エアクリーナーの交換、その他。プリフィニッシュ前で待っていると指定時刻の7分前にパイロット市川はやってきた。タイムカードを確認するときっちりオンタイム、立派な6DAYSパイロットだ。休む間もなく、泥を落とし、タイヤ交換のためにナットを緩め、1秒も無駄にすることなく、次に備える。

パドックのサービスエリアではマネージャー兼メカニックの中島が作業の準備を整えて、手順を確認済みである。サービスエリアにバイクを入れ、スタンドでリフトアップすると最後の作業の開始である。まずはリアタイヤの交換、何かのトラブルで予定作業がすべてこなせなかった時や明日の朝の10分を考えて、優先順位決め、それに従って作業を行う。優先順位を決めるのはメカニックの大切な仕事でもある。リアタイヤを交換後、次はフロントタイヤの交換作業。前後タイヤ交換を9分台で終了したパイロット市川はメカニック中島の指示の元、てきぱきと作業をこなし、エアクリーナーの交換を明日の朝に残して、最終チェックへ向かった。DAY2 コンプリート フィニッシュである。

ジュリーミーティングは連日19:00から行われている。夕方ホテルに戻り、一人早めの夕食を済ませ、ジュリーミィーティングに向かうのが私の日課である。DAY1、DAY2ともこれといった問題もなく、昨夜の議事録を確認し、書類にサインをして、車検長からの技術的は報告、オフィシャルドクターからけが人についての報告、その他、各デレゲートから気になった点の報告があり、改善策について話し合う。その後は暫定リザルトが配られ、各デレゲートが自国の選手の成績について確認し、問題があれば計測長に確認を要求する。それで問題がなければ、暫定結果は公式なものとされるのである。おおむね、このような流れの中、1時間半から2時間ほどでジュリーミーティングは終了している。さすがに何度も世界選手権を開催している実績のあるオーガナイザーだけあって、いまのところ運営に大きな問題はないようだ。

2005.9/15(木) 【DAY3】
昨夜のジュリーミーティングで今日のタイムはAに決定。昨日までとは違う新しいルートとテストを消化することになる。しかも、全体の距離が20kmほど長く設定されおり、ベルナードもDAY3・DAY4が山場だろうと言っていた。

ワーキングエリアでは昨日やり残したエアクリーナーを交換して、各部をチェック。モーターサイクルに付着した泥をきれいに落とし、余裕をもってスタートしていった。モーターサイクルを押してスタートに向っている時、ちょうどジョバンニ・サラとすれ違った。すると彼が満面の笑みで「KENJI!」と話かけてきた。昨日のタイヤ交換のときもファビオ・ファビオリが早めに6DAYSを引き上げるのに「がんばれよ」とわざわざ言いに来ていたし、パドックを歩いていても、タイムチェックに行っても「KENJIはOKか?」と声がかかる。彼は今、6DAYSの会場で一番知られている日本人にちがいない。成績はともかくこうやって少しずつ日本人が6DAYSに溶け込んでいくことって大切なことだし、とても素敵なことだ。

ところで、スタート前の準備になくてはならない大切な作業がある。我々はそれを通称「ワセリング」と称しているのだが、つまり尻にワセリンを塗りこむのである。覚えのある方も多いと思うが、これが最低の気分なのである。あのなんともいえない感じは・・、うーん・・・、表現のしようがない。私もマネージャ中島も現役時代は時々ワセリングをしていたが、今思うと、「なにをそこまでして」といったところだが、やっぱり必要なことだから仕方がない。今朝もパイロット市川はたっぷりとワセリングをしていた。

DAY3、パイロット市川は8分遅れでフィニッシュした。タイムカードをチェックすると1周目に2つの区間でそれぞれ2分、3分と遅れ、2周目は一つの区間で3分遅れていた。通常、3日目まで6DAYSを消化すると相当に疲れも溜まってきており、1周目に遅れた区間で2周目に走行時間を短縮して走ることはかなり強い精神力がないとできないことである。そのうえすべてのテストで昨日の順位から20位もジャンプアップしていた。ジャンプアップの理由には確かに怪我やトラブルでリタイヤした選手がいたことはあるが、今日が3日目であることを考えればこれは凄いことである。いまや市川は立派な6DAYSパイロットである。

昨日から午後早くにジェニファーがタイムキーパーの七つ道具をもって出かけていくので、どこに行くのか尋ねたところ、なんと頼まれてイギリスチーム(トロフィー、Jトロフィーを含む)のタイムキーパーをやっているそうである。イギリスといえばED発祥の地、今大会のトロフィーチームにもデビッド・ナイト、ポール・エドモンソンはじめ早々たるメンバーがそろうチームである。そんなチームから頼まれるということは、つまり信頼されているというわけで、いつも気軽に日本チームのタイムキーパーをお願いしているのだが、そのジェニファーがイギリスチーム約10名のタイムキーパーをてきぱきとこなしているのを見て、なんだか恐れ多いやら、気恥ずかしいやら・・。いつも、完璧に時間を把握しているので、頼りになるし、凄いなぁとは思っていたが、実際にそれを目のあたりにして、改めて凄さを実感させられた。日本チームは恵まれているのです。

2005.9/16(金) 【DAY4】

朝から雲行きが怪しく、スタート準備をしている頃にはぽつぽつと雨が落ちてきた。今日のルートは昨日と同じ、タイムもAで行われる。スターと時間は繰り上がって9時11分に変更となった。朝のワーキングエリアではこれといった大きな作業はなく、各部のチェックを入念に行った。予定通りスタート後、メカニック中島は夕方の作業に備え、前後タイヤ、ムース、フロントスプロケット等を準備していた。

一通りの準備、片付けを済ませた後、我々はTC2へと向かう。パドックからは30分ほどの距離であるが、TC近づくにつれ雨が強くなってきた。多分、ルートはひどい状況になっているに違いない。TC2に到着し、ほかの選手の様子をみるとほとんどの選手が時間ぎりぎりで到着している、今日もまた昨日に続き厳しい一日になりそうだ。パイロット市川はそれでも2分半を残してTC2に到着。ここはサービスのできないTCなので給油はないが、手早くバナナを口に放り込み、ゴーグルを交換してタイムチェックに飛び込んでいった。この後はすぐにエンデューロテストである。2周目には我々はここに来る時間がないのでKTMサポートに替えのゴーグルを託し、TC2を後にした。それから我々は1周目の最終TCに向かい、そこでパイロット市川を待った。

このTCは一般道を300mほど閉鎖して直線的に作られているのだか、この雨で路面がとても滑りやすくなっており、選手が自分のサービスを見つけて止まる際に転倒するケースが続出していたようだ。我々が到着しときも、丁度アメリカのトロフィーメンバーが激しく転倒、そのまま駐車中の車両に激突し、救急車で運ばれていった。パイロット市川は13分遅れでここに到着。モーターサイクルに跨ったまま、給油を済ませ急いでテントから出て行った。このコンディションの中で1周13分遅れは立派なものである。

夕方、どうやら雨は上がった。市川は28分遅れでプリフィニッシュを通過し、サービスに到着した。サービスについて最初に言うことは自分が何分遅れているかであるが、約束どおり市川は「28分遅れ」とジェニーに伝える。これを聞いたジェニーは素早くタイムカードを確認し、フィニッシュタイムを計算して作業の様子を見ながら、的確に残り時間を伝えてくれる。今日は前後のタイヤ交換、泥おとし、マジ締め等。いつもどおり9分そこそこで前後タイヤ交換を終え、次から次へとメカニックの指示に基づいて作業をこなしていく。交換予定のフロントスプロケットはKTMメカニックとも相談の上、交換の必要はないと判断、余裕をもって作業を終えた。ところが各部のチェックで左フロントフォーク(ブレーキキャリパー側)のオイルリークを発見した。漏れはほんの僅かなのであるが、問題はキャリパー側であることだ。もし、オイルリークが進み、キャリパー、ディスクがオイルで濡れてしまうと、フロントブレーキが効かなくなる恐れがある。フロントフォークは交換可能な部品であるから、資金に余裕があればフォークごと新しいものに交換することも可能であるが、プライベーターには無理な相談である。我々は漏れが僅かなことから推測して、おそらくオイルシールのリップに泥が詰まったのが原因だろうと判断、明日の朝、応急の処置としてダストシールを外し、パーツクリーナーで清掃の上、フォークとオイルシールの間にシックネスゲージを差し込み泥を取り除くことにした。

DAY4が終わり、パイロット市川にも疲れが目立ちはじめた。のこり2日の頑張りに期待しよう。

2005.9/17(土) 【DAY5】
昨夜からの雨は朝まで降り続き、いったんAタイムに決まったタイムスケジュールはスタート前にBタイムに変更された。パイロット市川は、小雨の降り続く中、朝のワーキングエリアでエアフィルターを交換し、昨日見つかったフォークシールの漏れ止め作業を行った。作業の結果、予想通り泥が詰まっていたが、オイルシールを傷つけることなく綺麗に泥を取り除くことが出来たようだ。最後にパーツクリーナーで清掃し、ラバーグリスをスプレーして作業は終了。これでオイルリークは止まったはずだ。

今朝はちょっとしたハプニングがあった、なんとパイロット市川がヘルメットの内装をホテルの部屋に忘れてきたのだ。思いついた対処法は2つ。1.どこからかヘルメットを借りてくる。2.マネージャー中島がホテルに戻り、ホテル近くのタイムチェックに先回りして内装を届ける。すでにパルクフェルメへの入場まで5分ほどしかなく、タイムチェックに到着する時間や、ホテルからそのタイムチェックまでの所要時間を計算したり、同時にあちこちにスペアのヘルメットの有無を確認したりしたが、距離と時間から、ほぼ間違いなくタイムチェックに内装を届けられそうだったので、急ぎ中島は車でホテルに戻った。市川はヘルメットにウエスか何かを詰め込んで、無理やりヘルメットをかぶり、時間どおりにスタートしていった。11時前に中島がパドックに戻り、TC2で無事内装を手渡したことを確認した。毎朝出がけ3人で忘れ物のチェックをするのだが、5日目ともなると3人とも疲れているのか、こんなケアレスミスが出てしまう。大きな反省材料である。

今日は全く新しいルート・テストを走行するのだが、事前のインフォメーションによると舗装路が比較的多く、ルートの難易度もUとVがほとんどで、比較的楽な設定と思われた。ところが、夜半から続く雨でルートの様子は一変、多く選手がペナルティーを受けることになった。中島の話によると、市川は、まだ40kmほどしか走行していないTC2ですでに4分遅れ、今日の総走行距離は270kmであり、この先どれ位のペナルティを受けることになるのか不安になった。それでも市川は、1周を終え、TC6に13分遅れで戻ってきた。様子を聞くとルートはたまらないほどのマディだそうだ、「残り130km、まだ時間はたっぷりと残っている、うんと楽しんでこい」と送り出してやった。私にも覚えがあるが、市川は「無責任なこと言いやがって」という顔をしてサービスを後にした。

2周目をスタートした市川を見送って、我々はじっと3時間半を待つことになる。選手の帰りを待つことがこれほど長く感じるとは思っていなかった。今日は雨が降っている上、気温も低くレインウエアーの下に一枚多く着込んでも、じっとしていると寒さが襲ってくる。中島とふたり、寒さを避けるため車に乗っていると、二人とも睡魔に襲われ、ついうっかり寝込んでしまった。気がつくと3時を回っており、市川が戻る予定時刻まであと1時間であった。

我々は市川の到着予定時刻の30分前にKTMのサービステントに移動し彼の帰りを待つことにした。1周目にすでに13分遅れていることを考えても、おそらく30分遅れ程度でプリフィニッシュを通過するはずである。今か今かと市川の到着を待つが、なかなか現れない。30分を経過して、「まさか、DAY5でトラブルか?」の懸念が頭をよぎり、気が気ではなかった。34分過ぎ、少し押さえ目の速度で最終タイムチェックに現れた市川は、ゆっくりとモーターサイクルから降り、満面の笑顔を見せた。辛く、厳しかったDAY5を乗り切ったのだ。モーターサイクルから降りた市川はすぐに泥落としをはじめ、明日のファイナルスピードテストに向け各部のチェックを始める。ブレーキパッド、フロントフォーク、ラジエター、一通りの確認作業の後、明日の朝リアのブレーキパッド交換のオーダーを出し、フィニッシュに向かった。とうとうDAY5を終えることができた。残りは後1日、明日は、ルートを約1時間半走行し、ファイナルスピードテストを残すのみである。

いつものように二人をホテルに送り、一人寂しくかきこむように食事を済ませ、7時からのジュリーミィーテイングに向かう。50名ほどの出席者の中で唯一のアジア人、黒髪で茶色の目で下手な英語を話す男も、なんとなく居て当たり前になってきたようだ。エンデューロの国際役員ライセンス取得講習会に出席したときの講師だったアラン・キング氏(イギリス代表)も「こんばんは、Yoshi、お前のとこの選手は今日もOKだったか?」なんていつも声をかけてくれるし、他のデレゲートとも「今日は雨で参ったよなぁ」なんて雑談もするようにもなった。DAY5に関する報告がひと段落して、10分ほどの休憩時間をはさみ、暫定リザルトが配布される。市川のリザルトを見ると、36分の遅着と2分の早着で見かけ上は34分の遅れだがペナルティーは両方を足して38分が科せられていた。プレフィニッシュ後の作業中にタイムカードをチェックした際、34分遅れであることは確認済みであるが、早着については見確認であったため、念のためタイムキーパーに再チェックを要求しておいた。
2005.9/18(日) 【DAY6】

とうとう最終日を迎えた、今朝はパドックの様子もどこか晴れやかで、ウキウキとして今までの張り詰めた空気はなりを潜めていた。今日は1時間と少しのルートの走行でファイナルスピードテストの会場へと向かう。しかし、たとえ僅かな走行距離でも整備に関して最後まで気を抜くことは許されない。最後のワーキングタイム、市川は前日残した泥をきれいに落とし、さらにリアブレーキパットを交換してスタートしていった。スタート後、我々も急いで後片付けをすませ、パドックを後にする。

ファイナルスピードテストはパドックから車で15分ほど移動した場所にある。何度かMX世界選手権が開催された実績があるすばらしい会場である。会場に隣接されたプリフィニッシュには、すでにほとんどのサービスが準備を整え、選手の到着を待ち構えていた。各サービスでは歓声とともに選手を迎え、長かった6日間を走りきった選手を称える。しかし、中には最後のスピードテストに備え、タイヤを交換する者、モトクロス走行に備えリアサスを締めセッティングを変更するのも者なども多く、決してただ浮かれているわけではない。市川も予定通り最終サービスに到着、すぐに泥落としを始める。最後にサスのダンパーをモトクロスコース用に変更してパルクフェルメへバイクを入れた

最終サービスに我々がついて市川を待つ間、必要なパーツや工具の準備をしているとき、念のため燃料の準備を確認すると「混合ガソリンの用意がない」との答えが返ってきた。「何故用意がないのか?」と尋ねたところ、「今日は距離が短いから必要ない」との答え。私はちょっとカチーンときた。そのサービスには生ガス(未混合のガソリン)が用意してあるのである。「それならどうして混合前のガソリンはあるのか?」とやや語気を荒くして尋ねると「ボスが必要ないと言った」と子供の使いみたいな答え。とにかく「給油の必要がない可能性が高いことは理解できるが、サービスなら念のため混合のガソリンを用意するべきだろう?すぐに用意して欲しい」と要求した。するとサービスの責任者はどこかへ電話し、なにやら話をした後、間もなく混合ガソリンが運ばれてきた。ちょっとした手違いではあるのだろうが、サポートは念には念を入れることが鉄則である。ちなみに到着した市川は給油の必要のないくらい、燃料がたくさん残っていた。ハンガリーのサービス隊の方々、強い口調で話をしてごめんなさい。皆さんのおかげでパイロット市川は完走することができました。

さて、いよいよファイナルスピードテストの開始である。公式発表によると観客は1万4千人。コースサイドは鈴なりの人である。市川はE1クラスの3組目に出場。ホールショットこそならなかったものの果敢に攻め続け、7周を消化。無事に6日間、全区間を1cmも残すことなく時間内に完走した。最終成績はE1クラス71位、ブロンズメダル獲得。

私は、夕方5時から最後のジュリーミーティングに出席。競技監督、車検長、医療責任者よりDAY6の内容についてそれぞれ説明があり、そのあと数名のデレゲートより、オーガナイザーに対する感謝のスピーチがあった。休憩の後、最終リザルトが配られ各デレゲートがそれを確認、異議がないことを確認して、ジュリープレジデントが各成績を発表。発表の度に拍手が生まれ、この6日間の戦いをお互いに称え合う。最後に、コンテナ遅着のトラブルにもめげず多くの完走者を出したアメリカにワトリングトロフィーが送られることが発表され、「フィニッシュ」の言葉でジュリーミーティングが終了した。退室時、すべてのデレゲート、ジュリーメンバーと握手を交わし、来年のニュージーランドでの再会を誓った。

初めてのことばかりで戸惑うことばかりであったが、多くのことを学び経験した私の6DAYSが終わった。

ワールドトロフィー
 イタリア 
 アレッサンドロ・ボットゥーリ   KTM     E2
 アレッサンドロ・ベロメッティ   KTM       E1
 シモーネ・アルベエルゴーニ   HONDA      E1
 アレッサンドロ・ザンニ   HONDA    E1
 アルシオ・パオリ   TM       E1
 ジュリアーノ・ファルガリ     HUSQVARNA  E2
ジュニアワールドトロフィー
 イタリア
 アンドレア・ベコーニ       YAMAHA E2
 マウリツィオ・ミチェルズ  YAMAHA E1
 パオロ・ベルナルディ  HONDA E2
 マニュエル・ピエバンニ     YAMAHA   E1
クラブ
 モトクラブ ルメザーネ
 ジョバンニ・サラ KTM E2
 マリオ・リナルディ KTM E2
 アレッサンドロ・ベロメッティ KTM E2
マニファクチャ
 KTM ファリオリ
 デビット・ナイト  KTM E3
 アレッセンドロ・ボットゥーリ HUSQVARNA E3
 ステファノ・パセリ APRILIA E1
個人総合
 デビット・ナイト  KTM E3